ヒトリゴトページ。

主に創作の話とゲームの感想、プレイ記録。テイルズオブ多め。更新は不定期です。

「好きなものを、好きなように、好きなだけ」をモットーに書いていく、創作とゲームの話がメインのブログです。

●2021.3[創作小説公開場所:concerto]にて創作小説の投稿再開してます。

【TOGアニバ感想後編】グレイセスは何故あたたかい物語なのか

ここからようやく本題が始まります。が、もはやアニババーティBluーRay&特典小説の感想ではなくなりました。ゲーム本編の話ばっかりしてます。

前編の最後で話したリチャードとソフィの話もちょっと関係しているので、先にそちらからご覧ください。随分と長い独り言の、自己満長文だよ。あくまで私の個人的解釈なので読み違えてたりする可能性もあることをご了承くださいね

シナリオブックもあるんだから、本当は台詞の引用とかした方がわかりやすくていいんでしょうけど入ってません。ますます分量が伸びてしまう、マジで論文になっちゃう。各々で補完してください…

 

 

 

 

 

 

 

○目次

 

<特典小説>

キャッチコピーが腑に落ちる

いや今頃?!って感じなんですけど本当にストンときたので。

内面に抱え込みがちな傾向

気付いたのはシェリア視点で語られる場面を読んでるときのことでしたが、TOGのメインキャラクター達って悩み事を自分の心の内側にばかり抱え込みがちだな、とまず思いました。最もわかりやすい例はアストンさんかと。思い悩んでいることがあっても、自分からはなかなか口に出しません。大抵の場合は、先に周囲の誰かが様子を察し促しています。

内に抱えたものを爆発させ、自他を傷つけることもほぼ無いです。グレイセスの中だと、そうした感情の爆発や暴走を起こすのはパーティキャラ以外で多く見られます。レイモン、フーリエ、そして道標編でのリチャードとラムダなど。細かいとこだとユリーシアも。小説読んだ感じだとリトルクイーン(フォドラの意思)もそうなのかも。そもそもが彼女は人を超越した孤独な存在だったので、同列で語ってもいいのか難しいところですが。

一応パーティメンバーが感情ぶちまける場面もあるけど、ほぼ序盤に固まってるはずです。私が思い当たる限りでは、再会した直後のvsヒューバート、その後追放されて雨に打たれるアスベル、レイモンに捕まったのを助けられた後アスベルを責めるシェリア。そこからだいぶ飛んで、ラムダ繭脱出後のアスベルとソフィ。あとは幼少期になります。

ヒューバートのところは比較的静かな怒りなので爆発と言うと伝わりにくいかもしれないけど、抱え込んだ苦しい感情が表出してアスベルやケリーを苛んだという点でそう捉えてます。で、怒りなどの強い感情に強い感情をぶつけて衝突したのは、その兄弟バトルとアスソフィ喧嘩だけじゃないかな。アスシェリ仲直り直前の言い合いはすぐ終わるのでとりあえずノーカン。ぶっちゃけ痴話喧嘩だし

さっき挙げたレイモン達の件も全部含めて、ぶつかり合いを経たから解決したのではなく、手を伸ばして相手の気持ちに寄り添いその痛みを受け止めたから解決した、という共通点がグレイセスの中にはあると思います。静かな、落ち着いた対話のシーンが印象深いです。

逆に言うと、それができていないものは丸く収まっていません。主に幼少期のラストがそうです。みんな幼かったり弱かったりして、受け止められなかったり衝突してしまったりした。

 

 

一旦話を戻して、時系列も青年期に戻して。それじゃあTOGの皆はどうして内へこもってしまうのか?→自分がどうこうよりも、周りの人のことの方が優先順位が高いから。

どうして周りの人の方が優先されるのか?→ 自分のこと以上に、その人のことが大切だから。守りたいから。

これが「守りたい人たちがいる。だから強く、優しくなれる」まさにそのことなんじゃないかな、と不意に感じました。TOGはあたたかくて優しい話だ、ってずっとずっと言ってきたけど、そのあたたかさ・優しさの正体はここにこそあるんじゃないか、と。

 

守りたい人たちがいる

自分のこと、と言っても、TOGのキャラクター達が抱え込む悩みの根底には自分以外の人のことで不安に思う気持ち・彼らを大切に思う気持ちがあるのも特徴です。「守りたい人」は「大切な人」にそのまま置き換えちゃっていいかも。その方が表現としてはシンプルだ。

ヒューバートの場合なら「ラント家の家族にとって」自分は不要な子なのか。シェリアは「アスベルにとって」自分は邪魔ではないか、会いたいけど迷惑になるのではないか。ソフィは「リチャードは友達で、戦えば彼を傷つけてしまうのに」自分はどうしてこんな気持ちになるのか&「みんなを守るためには」自分がラムダを消す必要があるのに、どうして止めるのか。

まあソフィは他にも、死んだらどうなるんだろう・みんなに置いていかれたくない、等もっと切実な自己の存在への苦悩も後にあるのですが、それを引き受けるのがアスベル達です。「ソフィのために」自分は何ができるのか、何をすればいいのか。

系譜編のリチャードの場合は前回も言った通り、「ソフィは」自分と会いたくないんじゃないか&「アスベルは」自分のようにラムダを取り込んで本当に大丈夫なのか。後者はソフィとも重なってきます。一国の王として”全”を守るべき立場の彼だけど、ストーリー上の描写では友達という”個”を想う気持ちが大きいんですよね。そこには多少の贖罪も含まれてはいます。敵対している道標編での場合についてはまた異なる。なので後述します。

一方教官は、「ロベリアは」自分があの時逃げなければ死ぬことはなかったのではないかと、現在・未来の不安というよりも過去への後悔に寄った思いになってます。すぐ自己の内側に沈み込む若者達を引き上げて未来へ引率する役割を担うからこそ、本人自身は過去を引きずっているというキャラ付けっぽい。そして、それが最終的には系譜編の決戦前夜でラムダが指摘したようなことになる。唯一の年長者ということもあって、ちょっと特殊なポジションなのかと。教官は周囲に気を利かせる局面の方が元から多いですしね

それともう1つ例外的に、パスカルだけはそこまで悩み込みません。気配りも無意識で自然としているだけ。まるでオチ担当みたいだけど決してそんなことはないよ。彼女がいないとTOGには底抜けに明るいムードメーカーがおらず話全体が重く硬直してしまうので、潤滑油的な大事なキャラだと思います。技術面でもパスカルがいないと話進まんw 直感型・猛進型が基本パスカルしかいないのです(幼少アスベルは当てはまる)。

パスカルは「お姉ちゃんを」自分の行動で知らぬ間に傷つけ追い詰めてしまっていた、というショックと後悔こそあれど、その解決は早い。それに、姉と対峙したその場には仲間達もいてくれたから、独りで思い詰める期間も皆無。だからいつも賑やかでいられます。もちろんフーリエとのことなどで何1つ抱えずにいるわけではないです。

 

みんな、自分以外の誰かを想っているから足を止めてしまう。そんな傾向がTOGの主要キャラにはある気がします。しかしそんな主人公パーティの中でも1つだけ、他者への想いを含まないケースがありました。

ラント追放後の、雨に打たれるアスベルの慟哭がそうです。あの時だけは本当に、自分自身のことで苦悩して自分自身のために”爆発”していました。後にも先にも、アスベルがそうなるのはここだけ。傍にソフィがいることに気が付いて、王都ではリチャードが危険にさらされていて、2人を守ろうと思うことでやっと立ち直る。単にお人好しだとも言えるのですが、これがまさにアスベルの強さ。

今までは正直なところ、あのシーンの意義があまりよくわかってませんでした。原作ゲーム含めどの媒体でも丁寧に描かれていて、小説版では口絵にすらなっているところだけど、シナリオ上そんなに重要な挫折なのか理解してなかった。今になってやっと少しわかった気がします。自分以外の誰のことも想いやれない挫折、本当に失意のどん底だったんだ。そしてそこから少しずつ、1歩ずつ強くなっていく。

追放〜打倒セルディク間のアスベルは、守りたい人のために強くならざるを得なかった・強くあろうとするために他者を守ろうとした、って感じでしたね。能動的な「守りたい」へ明確に変化したのはいつ頃からだろうか。はっきりした境目は無いかも?

 

サブキャラの場合

上で述べたレイモンやフーリエやラムダといったパーティキャラ以外では、多くの場合、他者を想う気持ちが欠けています。心のどこかにはそうした想いも確かに持っているのだけど、守りたいベクトルが自分の方へと向いてしまっている。ヒューバートへの嫉妬、パスカルへの嫉妬、急にスケールでかくなって人間への絶望などで、結局守りたいのは自分自身。

真面目に考えれば、レイモンが大人しく?なったのは「大好きなシェリアさんのため」だからなので詰まるところ「大切な人のため」ではあります。今やすっかりギャグ担当の残念な人になってしまったけど、それでもメインテーマからの激しい逸脱はしていないと思う。彼は物語の賑やかしってことでw

守りたいと思うこと=大切に想うこと=愛、と私は思ってるんですが、愛というものを単純に、取っつきやすくわかりやすいように、ある意味"浅く"抽出したら恋愛という枠組みになるんだと思います。家族愛・家庭の一段階前の形は恋人なわけだし。だからグレイセスは恋愛描写の頻度が少し高めになってるんだと理解してます。レイモン&バリーとヒュパスはその彩りとしての側面が強いんじゃないかな? 

物語の中核を担うキャラクター関係を挙げると、アスベル&ソフィ&リチャード、アスベル&ラムダ、ラムダ&コーネル、ソフィ&リトルクイーン辺りが該当すると思うのですが、これだけ見ると恋愛要素は不要です。ここにある”愛”へ辿り着くまでの前段階として家族愛を、家族愛に至るまでの前段階として恋を他のキャラクター達で描いているんだと私は考えてます。順を追って深入りしていく。

 

他、オズウェル氏やフェンデルの総統は道標編だと悪役寄りの登場人物で、守る対象も自分(の地位)のようだけど、キツい罰・制裁などを受けるシーンは特にありません。系譜編以降になるともうかなりの脇役で、無害でしたよね。それは彼らが、親として子を守りたい・守りたかったと思える心を捨てていないからじゃないかと思います。公式の掘り下げが少ない方々なので私の個人的な想像に拠るところが大きいのですが。話のスケールが惑星レベルのものになって、国家や政府の問題を広げてる場合じゃないのもありますが。

オズウェルの家庭事情が明らかになったのは、このブルーレイ特典小説が初めてだった気がしたので驚きました。ここにきて出てくる新情報っていうと本当に初めからあったものなのか正直疑わしいので、あまり本気にはしませんが。まあでも、宝物庫サブイベや系譜編のヒューバートエピソードで見れるオズウェルと、マリクエピソードで見れる総統は人の親をしているよね、と私は受け取ってます。

 

守りたいベクトルを最後まで自分に向けたままの敵キャラクターというのが、概ね救われていないはず。ビアスとかセルディクとかエメロードとか。ただエメロードについては考え直す余地があるかもしれないです。フォドラ復活の野望とコーネルへの愛憎のどちらがより強く根深い感情なのか、判断しかねています。私は現状では後者だと思ってるけど。

仮に前者だとしても、そのフォドラの中に他の人のことは含まれているのかな…と思います。「私が」新世界の神となる、とか何とか言ってたので、本質は自分自身の欲のためのような…。ヒューマノイド化する前はまた違っていたんでしょうか?

 

敵対&死亡キャラの中で、カーツだけは例外だと考えてるよ。彼の死は、ソフィに人の生死について考えさせる役目を持つ出来事だと認識してます。パイプ切断に関して「術使えよ」「投刃使えよ」などツッコミを入れることが可能で、展開的には若干無理がある感じにも見えますし。その役目さえ無ければカーツは別に死ぬ必要なかったはずです。ここまで書いてきた生き残りサブキャラ組と何も違いません。

 

ラムダの場合

系譜編のリチャードに対して、道標編でのリチャードは「ラムダのため」と思いながらも実際には「自分のため」が強くありました。ラムダの侵食によって影響を受けていたせいでもありますが、件のアスベルの慟哭の状態がずっと続いていたと見るといいんじゃなかろうか。ガルディアシャフト中層でのスキットに入っていた、アスベルのモノローグのように。

ラムダ自身も「自分が生きること」だけが目的で、他者を思いやる気持ちなどなかった。この点が、他の誰かを深く想っているアスベル達との大きな差異だったのでは。でもそこが系譜編で大きく変わって、2人もキャッチコピーを体現するような変化をしたと思います。特にラムダ。リチャードは本来優しい人で元に戻ったというだけなので。

心の奥底にはちゃんと他者を、コーネルを想う気持ちも潜めていて、沈んでいたそれにアスベルが手を伸ばし拾い上げた。彼を器として、彼の目を通して世界を見て、人の可能性を知り、守りたい世界を知ったから変わることができた。それが系譜編のラムダなんじゃないかな。初めは「ソフィもリチャードも両方救うため」の手段としてラムダを取り込む決断をしたアスベルだけど、それも次第に「ラムダ自身のため」へと変わっていました。その強さと優しさが、系譜編を経てラムダにも連鎖していったように思います。

フォドラの憎しみを受け止められるほど強くなり、かつてはあれだけ憎んだソフィの生を認めアスベルにちゃんと体を返すくらい優しくなった。元ラスボスが。それが許されるのも、TOGという物語だからではないでしょうか。そもそも「守る」が主題でなかったら、道標編時点でソフィが対消滅を実行してそれで終わりだったと思うんですよね。そうならなくて本当によかったし、それを阻止してみせたアスベルは本当に立派な主人公。

道標編小説版のラント邸でのラストシーンには、アスベルの手からクロソフィに注がれた光がラムダの力であるかのような描写があります。それを読むまでは、ソフィから宿った光の力だと私は思ってました。もしそれが本当にラムダに由来する光ならなんて素敵なことか。ラムダは言葉よりも行動で思いを示すタイプだと思うなあ

 

まとめ

グレイセスは何故あたたかい物語なのか。その答えは、痛みも苦しみも受け止める他者への愛で満ち溢れた物語だから。

発売10年、私のファン歴だと約9年半を経て、とうとうはっきりとした言葉で回答が出せました。ごじゃごじゃ大量に書いたけど、最終的にはなんとまあ素直な解だ。

何から何まで都合よく甘ったるい温室というわけではなくて、痛みや後悔や寂しさも沢山あります。ただ、その乗り越え方の中にあたたかさがこもっていました。加えて、それが許容され報われる優しい世界観にもなってました。これはグレイセスの大きな特徴だと思います。

自分のことよりも他の誰かのこと、という傾向があることへの気付きが、今回のアニバ記念イベント&書き下ろし小説で得られたものでした。その思いを書き起こそうとした結果がこのアニバ感想後編の全てです。ここまでお付き合いいただきお疲れさまです本当に

だいぶ語り尽くした感あるけど、多分またどこかで語るよ!難易度カオスチャレンジの周回プレイも途中だもの!10年経っても大好きだよ!!